一段落していた結婚の波が、またまた周りで起こっている。
ラブラブすぎるのか、なぜか毎夜のろけ電話をくれる人。
超男前なのになぜか結婚相談所に登録して婚活中の人。
結婚を申し込むも、なかなか Yes がもらえない人。
腹をくくってご両親に会いに行った人。
遠距離は寂しいと日々枕をぬらしている人。
毎週末結婚式場巡りをしてる人。
色んな恋愛、色んな結婚、大いに結構!!
人生は一度きり、頑張れみんな!!
そんな高みの見物をしているオイラに、友達からこんな一言が飛んできた。
「 keko37、そろそろ妥協せえへんの? いくらでもおるやろ? 」
話の答えはさておき、[ 妥協 ] という言葉がすげー引っかかった。
結婚話には、なぜか [ 妥協 ] という言葉が登場することがある。
日本人独特の美学なのか、謙虚さなのかは分かんないけど、なぜ [ 妥協 ] という言葉を使うのだろうか?
そりゃ、生まれた土地も、過ごした時代も、学歴も、趣味も、仕事も、経験も、何もかもが違う人間が一緒に共同生活を始めようっていうんだから、そりゃ色んなぶつかり合いがあるのは当たり前のこと。
二人がよりよい時間を過ごすためには、解を見つけるためには戦うこともあるかも知れない。
でも、それを表現するのには [ 妥協 ] という言葉を使うべきなのだろうか?
オイラは国語が得意じゃないから正しいかどうかはわかんないけど、オイラの主観的感覚では、[ 妥協 ] という言葉には [ あきらめ ] というネガティブなエッセンスが多分に含まれているような気がするんですよ。
そうじゃない。
何かをあきらめるために大のオトナがぶつかるのって、なんかおかしいと思うのですよ。
これは恋愛だけじゃなく、仕事だってそう。
お互いの経験や知識をフル稼働して、納得のいく新しい何かを生み出してこそ、明るい未来があると思うんです。
考え出した新しい手法で進んでダメだったら、進みながらもっとよくするために修正すればいい。
オイラ的には、[ 妥協 ] ではなく、[
折衷 ] であって欲しいんです。
右手で右手を洗うのは効率が悪いし、うまく洗えない。
右手で左手洗って、次に左手で右手洗えば、キレイで早い。
二人で居るからこそ新たな折衷案が生まれ、1+1=3 になればさらにステキ♪
別に、二人揃って薬指にリングを付けなくたっていいじゃないか。
折衷案を生み出せれれば、楽しい明日にはつながっていくのかもしれないよ。
てなわけで、
[ これってもしかしてペアリング?? Part 2 ] が完成しました(笑)